故人のための儀式であるというのは建前で実際は
残された者が故人の死を確認するための儀式でもある。
自殺する人の考えについては、特車二課の篠原遊馬巡査が
「ピーなんだよ」という言葉を、港湾に飛び込んだ西脇冴子に対して
言っている。おそらくこれが一番妥当な答えだろう。
故人が自殺した理由というのは、本人から聞き出せない以上
遺書などで明確に理由を記述していない限り不明瞭であり
まさに「ピー」という隠された理由なのである。
問題なのは。
果たして提示された幸せが故人にとって幸せになり得たのかだろう。
人の価値観は家族、恋人、夫婦それぞれまったく違う。
幸せの価値基準も違う。
だからこそ、真剣に死ぬことを考えてしまった人を中止させるには
中止させるための当人が納得できる理由が必要だ。
自殺の理由がx、中止させる理由がyとするならば
x < y =自殺阻止
にならなければならない。
私もこれまで何人かの死を見取って来た。
中学時代に殺された同級生、パソ通時代にずっと話してた二児の母
私が入院した時に見舞いに花を持ってきてくれ恋人数歩手前だったひと
そして年末の修羅場進行で「今から死ぬからあとを頼む」とメールを
投げてそのまま交通事故で亡くなったバカ。
死なれることは悔いばかりだが、その分自分が必死に生き残り
一緒に生きていくことで、生命の大切さという倫理が守られれば
それはそれでいいのではないかと思う。